2月のぬの

 

2月1日きんようび

 平均台の上をふらふら歩いている感じ。台はさほど高くないので、落ちることは恐怖ではない。けれど落ちたときの、着地だけはしっかりと、バランスをとらなくてはと思う。落ちる前の台の上で、あるていどバランスをとっておけば問題はないのだけれど、なんせふらふら歩いているものだから、それはなかなか難しい。
 掃除機と扇風機が僕の部屋にやってきた。愉快な宴。焼酎お湯割り。
 明日の天気はどうだろう。雨が降ったらタバコに火がつかない。雪が降ったらタバコに火がつけられない。
 Bは満員電車の中で彼女を守った。彼女はBと同じ駅でおり、ありがとうございました、と言った。Bは相手が気づかないくらいに首を横に振って、乗り換えホームに向かった。AはBという男を作り出し、そのような出来事を夢想しながら自分の植えて育てた盆栽を引っこ抜いた。引っこ抜いた松の根は白く、周りについた泥はその根にしがみついていた。CはAという男を作り出し、そのような出来事を夢想しながら電車のつり革につかまって、中吊り広告をぼんやりと眺めていた。中吊り広告の中で満面の笑みを浮かべているDは、Cという男を作り出し、もういちど大勢の乗客に向けて満面の笑みを振りまいた。
 

2月4日げつようび

 ドアをとんとんとノックする音がする。ドアを開けると立っていた、知人の腕の中には楽しいことがいっぱい。ごめんなさい、もう少しだけ眠らせてください。そう言ってまぶたを閉じると、楽しいことがぽろぽろと、床一面に散らばった音がする。僕はその音がだんだん遠くなるのを感じながら、深い深い眠りにつく。
 岡本かの子『老妓抄』。「椀を重ねた」とか「暗涙を催した」とか。昔のよき言葉を堪能した。
 鯰という字は中国では使われておらず、日本で作られた漢字だと知人が突然教えてくれた。鯰を食べてみたい。埼玉の吉川というところでおいしく調理されたものが食べられるらしい。
 

2月8日きんようび

 いつも通っていた道が、あらためて見てみると実は結構な坂道でびっくりした。自分は何を見て、何を見ていなくて、何を見させられていて、何に目をつむっているのか。すれちがった、背中の丸いおばあさんが、目を大きく見開いて、少なくとも僕が見ている限りでは、まばたきをしていなかった。おばあさんは何を見ていたのだろう。コンクリートの上の砂か?
 鷺沢萌『過ぐる川、烟る橋』。読んでいてとても気持ちがよかった。気持ちがよかったけれど、何か心にひっかかって釈然としないものがあって、でもその釈然としないものは本の内容ではなくて、自分自身が抱えている「何か」だった。
 武田百合子『ことばの食卓』。14編あるうちで「花の下」が良かった。笑わせよう、と意識するのではなくて、自然と微笑んでしまうような文章を。あたたかい。
 岩波ホールでしかやっていない『落穂拾い』と、どこでもやっている『化粧師』を観にいきたい。今日、天丼屋の「てんや」の前を通りかかったら、「鯰天」を売っていた。買わなかった。
 

2月9日どようび

 男は疲れきっていた。コタツにうずくまった男の肩は、何艘もの船が錨をひっかけたみたいに重かった。こたつの上の灰皿にくすぶっているたばこの先を見ながら、昨日のこと、一昨日のことを思い出していた。続けて一昨昨日のことを思い出そうとしたけれど、無理だった。男は突然立ち上がり、隣の町にいるマッサージ師の元へ行くことにした。男は重い肩を体に引っ掛けながら、隣町へ向かってとぼとぼと歩いていた。小雨が男の肩をとんとんとんと叩いても、返事がない。男は地面をじっと見ながら、右、左、と交互に足を運ぶのに精一杯だった。しばらくどこからかやってきた牛が隣を歩いていたのだけれど、そのうち牛は男の歩みに合わせられず、ずっと先へと行ってしまった。それくらい男の歩みはとぼとぼしていた。歩みは日暮れとともにおそくなって、隣町との境で、男はついに力尽きてしまった。町と町との境界線で、男はうずくまり、どんどんと小さくしぼんでいった。隣町から、自転車のライトを灯して、マッサージ師が通りかかった。マッサージ師は今日の仕事を終えて、男のいる町の酒場へと向かっている途中だった。闇夜のせいもあって、マッサージ師は境界線にしぼんで小さくなってしまった男に気づかずに、通り過ぎてしまった。マッサージ師が酒場からほろ酔いで帰ってきて境界線を越えたときは、男の体は米粒よりもちいさくなってしまっていたのだった。男は疲れきってしまっていたけれども、米粒よりもちいさくなったその体を誰に見つけられることもなく、朝を迎えて、そして次の夜を迎えた。疲れきったまま動けなくなって、男はもうどうしようもなくなっていた。これではマッサージ師のマッサージを受けることだってできない。歩いて自分の部屋に向かおうとしても、たかが知れている。
 新聞を取ることにした。洗濯洗剤を買いに行こうとしたときに、新聞の勧誘員に声をかけられたからだった。勧誘員に新聞をとるつもりはない、と言ったら、勧誘員は「月いくらなら、新聞をとる気になりますか」と言ってきたので、その質問はどういう意味か、と逆にたずねたら、「月400円でどうですか」と答えた。勧誘員は胸ポケットから1万円を抜き出して、僕に手渡した。「このことは内緒にしておいてください」と言った。そういうわけで、僕は3か月の契約書にハンコをついたのだった。何がうれしいかといったら、抱えきれないほどの洗濯洗剤をもらったことだ。他にもらったくまのプーさんのバスタオルを使うのは照れくさいから押入れにしまった。
 

2月10日にちようび

 ちょっと空気を吸いに外にでたら雪が降ってる。環七の車の音のせいで雪の落ちる音が聞こえなかった。タバコをつけたライターの火をそのままにして、暖をとった。
 昨夜作った豚の角煮の反省点。肉はケチって買うな。ケチって買うのだったら油抜きを怠るな。豆腐となめこのみそ汁。味噌が今回できれた。買いに行こう。味噌を買いに行こう。味噌を近所のスーパーで買おう。味噌を手に持ってレジに並ぼう。味噌のためだけにかごを使うのか?味噌を手に持ってレジに並ぼう。朝食はみそ汁とごはんとままかり。ままかりの酢漬けは朝も夜も大活躍だ。
 本棚とぬのをバイト前に買いに行く予定が、雪のせいで、味噌を買いに行くだけの予定に。味噌を手に持ってレジに並ぼう。あなたは味噌を手に持ってレジに並ぶか?僕は味噌を手に持ってレジに並ぶ。だし入りの味噌、あれは駄目だ。あれは使い勝手が悪すぎる。
 

2月12日かようび

 何を言おう、何を言ってあげよう、と考えているうちに知人は着替えてどこかへ行ってしまった。いつもそうだ。僕の口は戸棚の奥にしまってあるみたいだった。知人が涙を拭いたティッシュが床に散らばっていたので、僕はくず入れにそれを片っ端から入れていった。くず入れはあまりに小さくて、僕は何度も何度も拾いなおさなくてはならない。それでも僕は、拾わずにいられる方法を知らない。
 ほうれん草は傷みやすい。だから買っておいて放っておいたのを腐らせてはいけないと思い慌てて、半分を明朝のためにおひたしにして冷蔵庫にしまって、残りの半分をしいたけとバターで炒めた。そういうわけで晩ごはんは、ほうれん草としいたけのバター炒め、残り物のままかりの酢漬けをビールで流し込んだ。魚とビールが合わないのはわかっているけれど、流し込んだ。
 パソコンの電源が急に落ちる原因がわかった。結露だ。
 

2月15日きんようび

 壁にしていた目的地の違うバスが行ってしまい、冬の風が四方からじんわりと、僕に向かって近づいてくる。タバコを吸いはじめてしまった右手は、風がやってきたときに、ポケットに避難できず、タバコを持った、そのままの形で固まってしまった。吸殻がぽとりと落ちる。目的のバスがやってこないのとトイレに行きたいのと、心細さの輪郭を冷たい風がうつしだす。
 疲れているみたいだ。体が緊張してしまい布団の中で体がうまく動かなくなった。体がうまく動かなくても心配しない。頭はちゃんと働いている。明日のこと、明後日のこと。体はさらに緊張し、頭は布団の外を歩き出し、角を曲がって見えなくなった。
 パソコンがうまく動かない原因のひとつに結露が考えられたけれど、寒すぎるのも原因かもしれない。こたつの上では問題ない。ビールは夏に飲むものだという考えがあるけれど、こたつの中では問題ない。とキーボードを叩いて、保存したあとにパソコンの電源が急に落ちた。何度、起動後、スキャンディスクをしたことか。今度はたこあし配線を改善してみる。12個も電源の口があるタップを買ってきたのだった。
 楽しいことを考えて、それが頭の中を飛び出して、それを聞いてくれた人たちが、僕と同じように楽しんでくれそうなので、うれしくてちびりそう。
 ぬのを作ってもらった。ちびった。ちびりついでにビールをぐびり。
 

2月17日にちようび

 今週は足を使った。この一週間で落ち着いて眠れたのが今朝から夕方にかけてだけだったような気がする。とにかく動き回った。よい結果を生み出したこともあったし、悪い結果、さらには約束をすっぽかすといったような結果を生み出すこともあった。そして体力を失い、当然のように今日、風邪をひいた。こんなことはありがちなことだ。芸がない。今日は部屋でおとなしくしていよう。ほとんど換気されていなかった部屋の窓を全開にし、のど飴をなめながらたばこを吸い、食べ物はちょうどきらせていて買いに行くのもちょっとつらいので水をがぶ飲みして漢方薬を飲んだ。雨が降ってきたので窓を閉める。こたつが数日間つけっぱなしなのに気づく。寒気がする。カーディガンのようなものを羽織る。
 昨日待ち時間の間にひょっと寄った浅草寺でひいたおみくじは「凶」。去年は確か「大吉」だった。おみくじを結ぶところには結ばず、大切に財布の中にしまっておく。ずいぶん前に観た『ざわざわ下北沢』という映画の中で「精進すれば幸せになれる、おみくじにはそう書いてある。大吉も小吉も、大凶も。つまりはすべて同じ」というような主人公の台詞があったのを思い出す。今年一年、この運命を甘んじて受け入れよう。なるようにしかならない。
 昨日阿佐ヶ谷で観た舞台の中で、ある若い女優さんが「そんなことありっこないもの。」と言ったその言葉が、なんだかとても耳に心地よかった。
 レンタルビデオ延滞一日目。今日は動きたくないので返却は明日か。
 

2月18日げつようび

 昨夜は洗濯物を深夜3時に干して、そのまま力尽きてこたつで眠ってしまった。就寝時の幸せと、起床時の後悔と。布団で眠っていたら風邪は治っていたのだろうか。風邪を治そうとする漢方薬と、風邪をこじらせようとするこたつの戦い。僕の6帖の部屋の中は戦場だった。結果はドローだ。風邪はあまりよくもならないし、悪くもならない。
 昨日は一度も外に出ず、今日もそうしたい気分なのだけれど、夕方からアルバイトがあるから、出かけなくてはならないから、せっかくだから、近所の喫茶店に寄ってから出発しよう。昨日は結局、水とイカとウニの瓶詰めと、ビール2缶と、漢方薬の錠剤8粒しか胃に入れていないから、その喫茶店でチキンライスを食べよう。自分でいれるのとはまた違う、おいしいコーヒーを飲もう。
 ああ、ビデオを返さなくては、レンタル料が300円、延滞料が600円。損したなんて思わない、昨日は出かけたくなかったのだから。安いものだ。喫茶店に寄るついでにひょいと返してしまおう。
 本棚が欲しい。本棚に入りきらず、棚の上にむき出しになっている本には、いくら取り払っても、気づいたときにはほこりが積もっている。
 

2月20日すいようび

 よく晴れていたので、百草園の「梅まつり」に行ってきた。京王線の駅から降りて、信じられないくらいの角度の坂をのぼった先にそれはある。閉園前の、遅い時間に行ったので、山の端にかかる夕日がきれいだった。さまざまな種類の梅があるので、全てが満開ということはない。枯れているのもあるし、まだつぼみの梅もあった。でも桜と違って、梅は、僕は、たくさん植わっていたとしても結局は1本1本をしみじみと見るものだと思うから、それで良かった。僕は良かった。似顔絵描きが一角を陣取り、数人の団体がそれを囲み、その内の一人が顔を描かれていた。梅の木の下で顔を描く人と、描かれる人と、僕と。園内には思ったより若い人が多かった。急な坂道を転がらないように気をつけて、園を後にした。
 百草園の近くの、友人の勤めている喫茶店で、友人の働く姿を見ながら、キリマンジャロを飲んだ。古本屋で買った、しりあがり寿『ヒゲのOL 薮内笹子』を読んで、笑いながら、友人が忙しそうに働いているのを横目に見ていた。今度僕のたまに行く居酒屋で会う約束をする。そこは海鮮鍋とてんぷらがうまい。そんな話をしているうちに日が暮れたので、席を立った。友人はお金を受け取ろうとしなかった。ありがとうごちそうさま、と言って出た外は、昼の陽気からは想像できないくらいに冷え切っていた。映画を観にいこうと思ったけれど、今度にした。あまりに寒いので、駅を降りてから近所の喫茶店に避難した。今日はコーヒーを4杯飲んだ。風邪はまだ治りそうにない。
 8日の日記以来、読んだ本を書くのを忘れていた。以下記録。椎名誠『ずんが島漂流記』。金城一紀『GO』。佐藤正午『カップルズ』。山本容朗選『田中小実昌 紀行集』。奥泉光『石の来歴』再読。川上弘美『ゆっくりさよならをとなえる』再読。
 

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