3月のぬの

 

3月3日にちようび

 『平松洋子の台所』(平松洋子・ブックマン社)を読んで「もののかたちのいとおしさ」を感じていたり、『黄色い本』(高野文子・講談社)を読んで「こまとこまのあいだのここちよいりずむ」を感じたりして、修理が終わるのを10日間くらい待った。そして今日、メーカーから僕のパソコンがやっと届いた。
 先日、浜松町へ『染芸展』を観にいった。はじめに言っておくとそれは、とてもすばらしくて、とてもすきで、とても楽しかった。もちろん展示されている着物や帯は着られるために作られたのだろうけれど、僕の頭の中で「きてよろこびをかんじるもの」と「かざってそれをいとおしむもの」の二つに分類しながら眺めた。僕の知人が染めた二つの帯は、それぞれ僕の中で二つの種類にきれいに分かれて、それらが僕の中でとてもバランス良くて、うれしくなって。ありがとうと知人に感謝した。たまたま運悪くその日会えなかったけれど、ありがとう、また今度。展示されていた多くの着物や帯を染めている途中の職人たちの姿を想像しながら、うかれ気分で展示場を後にした。
 僕のわがまま、四月の夢は、ちゃくちゃくとその形をあらわしつつあるので、僕はちゃくちゃくとわくわくしている。
 喜びを分かちあうことは、喜びを半分にしてそれぞれ分け合うというものではない。たとえば写真を焼増しするように、二人分にきちんと増える。ただ写真そのものが同じだとしても、それをどう感じるかはその二人それぞれ違うけれど、そんなことはあまりその写真を渡すときに感じる必要はないのだよなあ。ある前提がもちろんあった上で渡す渡されるというその行為に僕は意識を集中するのだけれど。ある前提というのがむつかしいけれど、今日はそのことを考えずに寝ることとしよう。
 

3月7日もくようび

 僕は語りかけるほうの人間ではなくて、語りかけられて返事をするほうの人間だった。そのように自分を決めつけていたのだけれど、今日語りかけられたその声に、僕は無頓着で、その声を意識したときには取り戻せない時間が経っていた。僕はその時間を後悔し、僕は僕を責める。その声の主が僕が勝手に負った責任を望んでいないとしても、僕にはどうしようもない。僕は語りかけるほうの人間ではなくて、語りかけられて返事をする人間なのだ。そして僕はその語りかけに応えることができなかった。
 ちょっとした話、ちょっとした酒、ちょっとした遊び、ちょっとした笑い、ちょっとしたそれらの積み重ねは、僕たちをとりまく環境の、ちょっとした、ちょっとした風当たりに崩されてしまうものだろうか。崩されたその瞬間はもう過ぎ去って、僕はそれに対する自分のあり方を責めるけれど、外に出たら、もう一度ちょっとしたことを、一緒に積みなおせばいい。積みなおすときには、ちょっとだけお互いの肩を叩いて、お互いがお互いを笑いあおう。早くそこから出てくるのを、語りかけられて返事をする人間として、僕はじっと待つつもりだ。
 

3月8日きんようび

 そわそわする。
 悲しそうな顔をして一人ブランコに座っている子供を見たり、和服を着た感じのよさそうなおばあさんがホームの真ん中でつばきを吐き出しているのを見てしまったり、僕の目には哀しいことばかりが映る。晴れているので空を見上げると、前よりもぐんと僕に近づいてきている。もう少し、もう少ししたらきっと手が届いてそして、いいことがあるんだろう。
 うちの近所のコンビニエンスストアでは、賞味期限の過ぎた食品が、半額以下の値段で売られている。きょう買って昼に食べた、賞味期限が半日過ぎた鱒寿司といんげんのサラダは、夜のビールを飲んでいる今でも僕は腹を壊していないから、きっとうまく消化されている。
 2月20日以降、読んだ本を記録するのを忘れていた。鷺沢萌『スタイリッシュ・キッズ』、佐藤正午『取り扱い注意』、鷺沢萌『バイバイ』、浅井慎平『原宿セントラルアパート物語』、しりあがり寿『白いガクラン』、D『きぐるみ』、多和田葉子『犬婿入り』(再読)、岡嶋二人『とってもカルディア』(再読)、武田百合子『遊覧日記』(再読)、つげ義春『蟻地獄・枯野の宿』(再読)。漫画は苦手だったけれど、高野文子を読んで以来、漫画に対する見方が変わった。のでうれしい。それでもまだ苦手は苦手だ。
 古本屋にて漫画雑誌『ガロ』が2冊500円で叩き売りされていたので、つげ義春の『李さん一家』と『山椒魚』が載っている号をそれぞれ買った。
 

3月14日もくようび

 いとおしいものに名前を呼ばれるのはなんてうれしいことだろう。名前があってよかったと思える瞬間。いくらでも振り返って、僕はくるくる回るのだった。
 楽しみなことが「ちゃく、ちゃく」と近づいてきて、そのうち「ちゃくちゃく」になって、それで僕はファストフード店をはしごして、ホットコーヒーとアイスコーヒーを交互に飲みながら同じ方を向いている人と「にや」と笑いながらその話をする。そして帰り道、電車のつり革につかまりながら一人で「にやり」とするのだ。
 森淳一『ランドリー』が思いのほか楽しかったのでうれしかった。もう一冊買って、友達にあげた。好きな映画、篠原哲雄監督の『洗濯機は俺にまかせろ』を思い出した。内容ではなく、設定が愉快だ。
 よく歩いたので靴下がくさい。
 

3月17日にちようび

 
 数人を集めて、雑誌のような小冊子を作りました。よかったらどうぞ。僕は「小野寺」という名前でやっています。
 
 一日中家でごろごろしていると、家のよさがわかった気になる。壁にほおずりしてみると、ほおが汚れてしまったので壁を拭いたりして、作ったカレーをひたすら煮込んでみたり、窓という窓を全部開けて換気してみたり、洗濯をしなかったり、あ、これを書いていて洗濯するの忘れたことに気づいたり。
 

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