1月のぬの

 

1月19日どようび
はじまりの日

 僕は3日坊主なので、17日に「日記を書かない」と決めた。だから自然と今日から日記をつけることになった。
 ばんごはんは親子丼を作った。割下が適当なさじ加減で作ったにもかかわらずいい味になったので、親子丼を作りながら赤ワインを1本あけた。ごはん時に赤ワインがなくなってしまったので焼酎を飲みながら食べた。
 

1月20日にちようび

 去年から出し忘れていた郵便を今日の夕方やっと出した。ひるごはんはだし巻き卵と、なめこと白菜のみそ汁を作って食べた。こたつの上に、出す前の封筒をおきっ放しにしていたので宛名の部分にみそ汁が少し飛び散ってしまった。それでも受け取ってくれる相手だから心配はしていない。みそ汁が少しくらい飛び散ったからといって、からしみそをなめたような嫌な顔をする相手には手紙を出さないことにしている。
 

1月25日きんようび

 左手の親指が痙攣していた。文庫本のページを繰るたびに、そのページがひらひらと揺れる。ベンチの隣に座っていた女の人が、それを楽しそうに眺めていた。僕は痙攣を治そうと、文庫本をひざに置き、右手で左手をマッサージした。それでも痙攣は治まらず、左手の親指は何度も何度もひくひくと、となりの女性にあいさつしていた。
 ナンニ・モレッティ『息子の部屋』。日本映画のようだった。僕は姉に感情移入した。両親の笑いによって救われた。
 島田雅彦『僕は模造人間』。ある意味正常だと思う。思った僕は自分が嫌になって、頭を太鼓に打ちつけた。すると、ぽんぽん、と情けない音がした。
 

1月21日げつようび

 濡れたタイルを見て、ああ滑る転ぶと思いながらそのタイルの上を歩き、でも結局転ばなかったので、少し残念だった。子連れの母親が転びそうになって、女の子が奇声をあげていた。
 近所に感じの良い喫茶店を見つけた。いつも歩いている道なのに今まで気づかなかった。今日は雨が降っているので、今度晴れたら入ってみようと思う。それにしてもいつも歩いている道なのに今まで気づかなかったなんて。
 大雨が雨戸を叩いていたと思ったら、雷まで一緒に叩きだす始末。餃子を包みながら中野裕之監督『Stereo Future』を観た。観終えて餃子を焼き、焼酎を飲み、餃子を食べながら三谷幸喜監督『みんなのいえ』を観た。餃子がおいしかった。
 

1月22日かようび

 部屋の片付けをした。片付けといっても物がないので片付けたというほど動かない。昨日ほったらかしにしていたワインの空き瓶を捨てて、焼酎の瓶を所定の位置に戻して、コップと小鉢をひるごはんに食べたうどんの器と一緒に洗った。灰皿が汚れていたのでついでに洗った。
 うどんを食べている途中に、窓から大家さんが現れた。外の掃除をしていたので、窓から失礼して世間話をした。あいていた隣の部屋に若い女の人が2、3日前に越してきたらしい。そうか、おとといのあの騒がしさは引越しだったのか。そういえばその若い女の人の声と、何人かの男の大声がした。大声というよりも奇声だった。叫び声だった。僕のいとしい静かな部屋。そして隣からは悲鳴。
 これからシャワーを浴びて、証明写真をとって、今日は晴れたので昨日気になっていた喫茶店へ行って、そのままアルバイトへ行こう。
 

1月23日すいようび

 近所の喫茶店のカウンターでは、手ぶらでやってきたじいさんが昼からビールを飲んでいて、若い店員に自分の若いころの話を聞かせていた。他には客がいなくて、静かで、きれいで、申し分なかった。これから通うことになりそう。
 立ち止まっていたら煮詰まったので最近は走ることにしていたのだけれど、急行列車が通過する小駅のホームに立っている看板の駅名が見えないみたいな毎日で、でも次の停車駅がやってくるまでとまることの許されない状況に辟易している。
 チャールズ・ブコウスキー『死をポケットに入れて』。作家の書く日記の多くは、「社会がこれこれこうで駄目だから、私はその社会から自分を隔離する、そしてそんなことを考えている私が一番駄目だ」みたいなことが書いてあって、僕はそういうスタンスはどうも好きになれないのだけれど、一つ一つのセンテンスを追うのは好きなので、何度も読み返す。自分が嫌いだと思っているものをよくよく凝視してみると、その周りには案外素敵なものが転がっている。嫌いな人の性格とて同じ。
 夜勤明けで部屋に帰ってみると、知人が僕の布団で寝ていた。ずいぶん前に鍵を貸したままにしていたのを思い出した。僕は小一時間で出かけなくてはならず、眠りたいけれど寝たら次の予定を反故にしてしまいそうなのでその知人の占拠はちょうどいい。そして知人の寝ている脇でこれを打っている。これからコーヒーを飲んで嫌いな街、渋谷へ向かう。知人の分のコーヒーは入れなくていいかな、よく寝ている。
 

1月24日もくようび

 渋谷駅で切符を買っていたら、浮浪者が「お腹がすいているので小銭をください」と言いながらすり寄ってきた。僕はゆっくり首を振って、彼の目をじっと見た。すると彼は目を閉じて、その場を去っていった。彼の生ごみと小便の混じったにおいは、現在の彼の姿は、彼の望んだ末の姿だ、と僕に思わしめた。彼がその生活を抜け出したいのなら、目が合ったとき、あのような表情はしないはずだ。
 乗っている電車がけたたましい警笛を鳴らす。車窓には踏切を慌ててくぐる若者の姿。運転手は急に止まることのできない歯がゆさでブレーキのレバーを引き、警笛を鳴らしたに違いない。踏切を後にして、ゆっくりと風景が流れていく。
 

1月26日どようび

 僕は猫アレルギーだ。猫の歩いた部屋で寝て、呼吸困難をおこしたことがある。猫アレルギーだからといって猫が嫌いなわけではない。猫は好きだ。猫アレルギーだから猫が好きだというわけでももちろんない。汗ばんだ僕の手のひらのにおいを嗅いだ猫たちは、すぐに僕から離れ、猫背で棚の上を歩いていた。体が痒くなったりするわけではない、ただこの部屋で眠れないだけだ。僕は猫好きの猫アレルギー持ちだ。猫のまねをして、すだれをがりがりとひっかいて、みやあおと鳴いてみた。最近あまり腹が減らない。
 

1月27日にちようび

 駅のホームで筋力トレーニングをしている男がいた。僕が通り過ぎるまでの約5秒の間に、男はスクワットを12回やって見せた。その時僕は階段をのぼったばかりで息があがっていた。そしてそれは、男の息づかいとほぼ同じリズムを刻んだ。少し落ち込んだ。そして僕はホームの端でかばんを開き、文庫本を取り出して片手で読み始める。そうだ、僕には文庫本を持つ筋力があれば十分だったんだっけ。
 天気雨で傘をさしている女の人を見て、夏を思い出した。日傘をさして、ゆっくり歩く女性の姿は好きだ。忙しそうに歩く女性に、日傘は似合わない。
 

1月28日げつようび

 下北沢でたま知久ソロライヴ。こんなに穏やかな気分になれたのは久しぶりのような気がする。その穏やかさを求めるために忙しく動き回る。プラスマイナスゼロだ。しばらくはそれで様子を見るしかない。見ざるを得ない。何もかもを捨てる夢を僕は持たない。
 梅の花はもうどこかで咲いていて、もらった梅の絵が描いてある便箋と封筒は、慌ててどこかへ飛んでいくはずだ。
 あまりに寒くて、マフラーを首にぐるぐる巻いていたら、誰かに首を締められている気分になって、歩きながら後ろを振り向いた。するとそこには、強風にあおられたビニール袋の顔をした影がふらふらと僕に付いてきた。僕は、もうよしてくれ、と叫びそうになるのを鼻歌でごまかした。
 

1月の終わりころ

 知人が夢をあきらめたのを聞いて僕は落ち込んだ。もちろんそれを語った彼は僕以上に辛そうで、無理に笑おうとして苦笑いになった。中華料理屋で顔を突き合わせながら飲んだビールはおいしくなかった。僕は彼の夢のことやそれに対する情熱のことを彼の半分以下も知り得ないけれど、鼻腔に抜けるビールの泡がいつもより苦くて、悪意のある苦さだったと感じたその思いを共有することはできたと思う。できたからってなんだ。僕は彼に何も言えなかったじゃないか。生まれてこの方、僕は何のために日本語を覚えてきたんだ?
 銀座東劇にて、ピトフ『ヴィドック』。内容の薄さに驚いた。空虚だ。
 梨木香歩『からくりからくさ』。久しぶりに本で泣いた。読んでいてとても心地の良い物語だった。彼女たちの一つ一つの所作が、微笑ましかった。
 数年前は毎日のように行っていた知人宅へ久しぶりに行った。やってきた知人たちと酒を酌み交わしながら、悲しくなった。悲しい、という言葉でしか表現できないそんなときがあったっていい、と帰りの始発電車に揺られながら思った。
 

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