1月のぬの |
1月19日どようび
僕は3日坊主なので、17日に「日記を書かない」と決めた。だから自然と今日から日記をつけることになった。 1月20日にちようび
去年から出し忘れていた郵便を今日の夕方やっと出した。ひるごはんはだし巻き卵と、なめこと白菜のみそ汁を作って食べた。こたつの上に、出す前の封筒をおきっ放しにしていたので宛名の部分にみそ汁が少し飛び散ってしまった。それでも受け取ってくれる相手だから心配はしていない。みそ汁が少しくらい飛び散ったからといって、からしみそをなめたような嫌な顔をする相手には手紙を出さないことにしている。 1月25日きんようび
左手の親指が痙攣していた。文庫本のページを繰るたびに、そのページがひらひらと揺れる。ベンチの隣に座っていた女の人が、それを楽しそうに眺めていた。僕は痙攣を治そうと、文庫本をひざに置き、右手で左手をマッサージした。それでも痙攣は治まらず、左手の親指は何度も何度もひくひくと、となりの女性にあいさつしていた。 1月21日げつようび
濡れたタイルを見て、ああ滑る転ぶと思いながらそのタイルの上を歩き、でも結局転ばなかったので、少し残念だった。子連れの母親が転びそうになって、女の子が奇声をあげていた。 1月22日かようび
部屋の片付けをした。片付けといっても物がないので片付けたというほど動かない。昨日ほったらかしにしていたワインの空き瓶を捨てて、焼酎の瓶を所定の位置に戻して、コップと小鉢をひるごはんに食べたうどんの器と一緒に洗った。灰皿が汚れていたのでついでに洗った。 1月23日すいようび
近所の喫茶店のカウンターでは、手ぶらでやってきたじいさんが昼からビールを飲んでいて、若い店員に自分の若いころの話を聞かせていた。他には客がいなくて、静かで、きれいで、申し分なかった。これから通うことになりそう。 1月24日もくようび
渋谷駅で切符を買っていたら、浮浪者が「お腹がすいているので小銭をください」と言いながらすり寄ってきた。僕はゆっくり首を振って、彼の目をじっと見た。すると彼は目を閉じて、その場を去っていった。彼の生ごみと小便の混じったにおいは、現在の彼の姿は、彼の望んだ末の姿だ、と僕に思わしめた。彼がその生活を抜け出したいのなら、目が合ったとき、あのような表情はしないはずだ。 1月26日どようび
僕は猫アレルギーだ。猫の歩いた部屋で寝て、呼吸困難をおこしたことがある。猫アレルギーだからといって猫が嫌いなわけではない。猫は好きだ。猫アレルギーだから猫が好きだというわけでももちろんない。汗ばんだ僕の手のひらのにおいを嗅いだ猫たちは、すぐに僕から離れ、猫背で棚の上を歩いていた。体が痒くなったりするわけではない、ただこの部屋で眠れないだけだ。僕は猫好きの猫アレルギー持ちだ。猫のまねをして、すだれをがりがりとひっかいて、みやあおと鳴いてみた。最近あまり腹が減らない。 1月27日にちようび
駅のホームで筋力トレーニングをしている男がいた。僕が通り過ぎるまでの約5秒の間に、男はスクワットを12回やって見せた。その時僕は階段をのぼったばかりで息があがっていた。そしてそれは、男の息づかいとほぼ同じリズムを刻んだ。少し落ち込んだ。そして僕はホームの端でかばんを開き、文庫本を取り出して片手で読み始める。そうだ、僕には文庫本を持つ筋力があれば十分だったんだっけ。 1月28日げつようび
下北沢でたま知久ソロライヴ。こんなに穏やかな気分になれたのは久しぶりのような気がする。その穏やかさを求めるために忙しく動き回る。プラスマイナスゼロだ。しばらくはそれで様子を見るしかない。見ざるを得ない。何もかもを捨てる夢を僕は持たない。 1月の終わりころ
知人が夢をあきらめたのを聞いて僕は落ち込んだ。もちろんそれを語った彼は僕以上に辛そうで、無理に笑おうとして苦笑いになった。中華料理屋で顔を突き合わせながら飲んだビールはおいしくなかった。僕は彼の夢のことやそれに対する情熱のことを彼の半分以下も知り得ないけれど、鼻腔に抜けるビールの泡がいつもより苦くて、悪意のある苦さだったと感じたその思いを共有することはできたと思う。できたからってなんだ。僕は彼に何も言えなかったじゃないか。生まれてこの方、僕は何のために日本語を覚えてきたんだ? |